ジョック速報

2ちゃんねるの萌えニュースをまとめているブログだよん

カテゴリ: 考察

1 :しじみ ★:2018/10/10(水) 19:34:30.99 ID:CAP_USER

サムネイル ガンダムの世界を経済的な視点で分析する連載「ガンダム経済学」。ガンダムのストーリーでは、月も大きな存在感を発揮する。そこで今回は、月面都市「フォン・ブラウン」と、その地における最大企業、アナハイム・エレクトロニクスの経済活動に焦点を当てたい。

 ガンダムファンでなければ聞き覚えのない名称かもしれないが、バンダイのプラモデル工場がアナハイム・エレクトロニクスのロゴを使うなど、ガンダムを語る上では欠かせない企業がアナハイムなのだ。バンダイのプラモデル工場が新設され、アナハイムのロゴを見たとき、マニアは感涙したという。もちろん筆者もその一人だ。

 アナハイムとはどのような企業なのだろうか。敵・味方かまわず、兵器であるモビルスーツ(MS)を売りつける“死の商人”という印象が強く、「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」では、地球連邦軍の最新鋭MSである「ν(ニュー)ガンダム」(エースパイロットであるアムロの専用機)を開発・製造する一方、アムロの宿敵であるシャア率いるネオ・ジオンにもMSを提供している。

 単に兵器提供だけではなく、ネオ・ジオンの技術開発部門と協力関係にあったとみられ、νガンダムのコクピット周辺を覆う最新の材質サイコフレームはネオ・ジオンの技術だった。MSをネオ・ジオンにも地球連邦にも提供していることは公然の事実であった。

 「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」に続く、「機動戦士ガンダムユニコーン」の前段では、アナハイムの試作MS「シナンジュ」がネオ・ジオンの残党に強奪されたことも出来レースであった可能性が高い。なお、作中ではシナンジュだが、強奪された段階では「シナンジュ・スタイン」(スタインは、石・原石の意味。ドイツ語でアインシュタインは1つの石という意味になる)と呼ばれていたようだ。カラーリングもシャアの後継者を彷彿とさせる赤ではなく、灰色のような磨かれる前の原石を思わせる色だった。

 他の作品でもアナハイムは敵味方を手玉に取るコウモリのような存在として描かれることが多い。筆者も以前は「技術はあるが、死の商人」という評価であったが、「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」において、地球連邦とジオンの1年戦争の開戦前夜からの状況が明らかになり、認識が変わりつつある。

http://image.itmedia.co.jp/business/articles/1810/10/mf_gundam01.jpg

■かつては地球連邦の秩序維持に協力

 アナハイム・エレクトロニクスは月のフォン・ブラウンという都市に生産拠点がある。ほかにもドック艦ラビアンローズなどの生産拠点を有している。フォン・ブラウンは人類初の月面着陸をしたアームストロング船長の記念広場もある月面都市である。「機動戦士ガンダムZガンダム」(第23話ムーン・アタック)のナレーションによれば、月の中心都市で、「フォン・ブラウンを制するものは宙(そら)を制する」と言われた一大拠点である。月の裏側にはグラナダという大都市もある。

1年戦争でジオンのMS開発を担っていたジオニック社はグラナダと縁があった。もっとも、グラナダはジオンに全面的には協力していなかったため、1年戦争開戦に合わせて、ジオンにより制圧されることになる。次いで、フォン・ブラウンもジオンに占拠された。

 1年戦争が始まるまでは、アナハイムは両勢力を手玉に取る死の商人というよりは、地球連邦の秩序維持に協力していたように見える。1年戦争前を描いた「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」では、ザビ家(後にジオン公国を設立)に対するアナハイムの反抗支援(事実上のテロ協力)が示唆されている。大きな火種を作って、ジオン・連邦の両者に武器を売るのであれば、この段階でザビ家に協力またはザビ家の専制を傍観したはずであり、当初は大規模な戦争を望むこともなく、想定してもいなかったのだろう。ジオン、そしてジオニック社を新参者と舐めていたのかもしれない。

■フォン・ブラウンは現代の深センか

 月面の環境は過酷である。月面には大気がない。これは息ができないということだけではない。大気がないので、宇宙線や太陽風による人体あるいは精密機器への影響を人工的に防がなければならない。

 また、隕石が燃え尽きることもなく降り注ぐ。地球ではお役御免の人工衛星でも大気圏に落下させて燃やせるが、月面では摩擦熱が起こる大気がない。月の引力に引かれて落ちる隕石もあるし、どんな小さな石でも地表まで速度を落とさずに落下する。

 加えて、外部に大気がない密閉都市では、外窓や外壁1枚の損傷が深刻な事態をもたらすのだ。

http://image.itmedia.co.jp/business/articles/1810/10/mf_gundam04.jpg

http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1810/10/news008.html

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1 :朝一から閉店までφ ★:2018/07/25(水) 13:40:00.24 ID:CAP_USER

サムネイル 2018年07月24日 22時00分 公開
ポルナレフが味わった「恐ろしいものの片鱗」、裏側では何が? 海外のジョジョファンが再現(?)動画で考察
ディオががんばりやさんだった。
[沓澤真二,ねとらぼ]

 『ジョジョの奇妙な冒険』第3部の終盤でポルナレフがディオと対峙したとき、いくら階段を上っても“下りたことにされる”シーンがあります。
この現象はコピペでも有名な「何を言ってるのかわからねーと思うが(中略)もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……」
というせりふにつながるのですが、いったい階段で何が起きていたのでしょうか? 海外ファンのAlex(@caesartendency)さんが考察し、動画で説明してくれました。


「1つチャンスをやろう。その階段を2段下りろ。再び私の仲間にしてやる」と、ディオがポルナレフをゆさぶる場面を再現
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld01.jpg


 原作でその後の展開を見れば「ディオがスタンド能力で時を止めてからなんかした」のは明白なのですが、動画はその“なんか”の部分を想像で補完しています。
ポルナレフ役が階段を上ると、ディオ役がスタンドの発動をポーズで示します。ここまでは原作とだいたい同じ。


逆らってポルナレフが上ったところで、ディオがスタンド「ザ・ワールド」を発動。時が止まってポルナレフも静止
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld02.jpg


 時が止まっている間に、いそいそと階段を下りるディオ。静止したポルナレフをかつぎ上げ、元いた位置よりも下の段まで運んで下ろします。そんな力業だったのか。


能力の持続時間は、このシーンの時期だと5秒未満しかありません。急げ急げ
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld03.jpg
よいしょっと
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld04.jpg
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld05.jpg


 そして、息を切らしながらも階段の上まで戻って決めポーズ。能力の効果が切れて時が動き出し、知らぬ間に下ろされていたポルナレフが驚く……といった寸法です。
もちろん原作でそんな過程は描かれていませんが、状況を考えると妥当なやり方に思えます。原作のディオも似たようなことをしていたのだろうかと想像できて、なんだかなごむ動画でした。


時が動き出す前に戻れーっ!
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld06.jpg
ゼエゼエ……
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld07.jpg
からの決めポーズ。原作では「フフッ、階段を下りたなポルナレフ」と、不敵に笑っていましたが、陰でけっこうがんばっていたのかも
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld08.jpg

画像提供:Alex(@caesartendency)さん
(沓澤真二)
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/news127.html
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.


https://video.twimg.com/ext_tw_video/1021092441917657088/pu/vid/720x1280/5ug4rcEpRwDuz2YQ.mp4

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1 :しじみ ★:2018/10/10(水) 19:34:30.99 ID:CAP_USER

サムネイル ガンダムの世界を経済的な視点で分析する連載「ガンダム経済学」。ガンダムのストーリーでは、月も大きな存在感を発揮する。そこで今回は、月面都市「フォン・ブラウン」と、その地における最大企業、アナハイム・エレクトロニクスの経済活動に焦点を当てたい。

 ガンダムファンでなければ聞き覚えのない名称かもしれないが、バンダイのプラモデル工場がアナハイム・エレクトロニクスのロゴを使うなど、ガンダムを語る上では欠かせない企業がアナハイムなのだ。バンダイのプラモデル工場が新設され、アナハイムのロゴを見たとき、マニアは感涙したという。もちろん筆者もその一人だ。

 アナハイムとはどのような企業なのだろうか。敵・味方かまわず、兵器であるモビルスーツ(MS)を売りつける“死の商人”という印象が強く、「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」では、地球連邦軍の最新鋭MSである「ν(ニュー)ガンダム」(エースパイロットであるアムロの専用機)を開発・製造する一方、アムロの宿敵であるシャア率いるネオ・ジオンにもMSを提供している。

 単に兵器提供だけではなく、ネオ・ジオンの技術開発部門と協力関係にあったとみられ、νガンダムのコクピット周辺を覆う最新の材質サイコフレームはネオ・ジオンの技術だった。MSをネオ・ジオンにも地球連邦にも提供していることは公然の事実であった。

 「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」に続く、「機動戦士ガンダムユニコーン」の前段では、アナハイムの試作MS「シナンジュ」がネオ・ジオンの残党に強奪されたことも出来レースであった可能性が高い。なお、作中ではシナンジュだが、強奪された段階では「シナンジュ・スタイン」(スタインは、石・原石の意味。ドイツ語でアインシュタインは1つの石という意味になる)と呼ばれていたようだ。カラーリングもシャアの後継者を彷彿とさせる赤ではなく、灰色のような磨かれる前の原石を思わせる色だった。

 他の作品でもアナハイムは敵味方を手玉に取るコウモリのような存在として描かれることが多い。筆者も以前は「技術はあるが、死の商人」という評価であったが、「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」において、地球連邦とジオンの1年戦争の開戦前夜からの状況が明らかになり、認識が変わりつつある。

http://image.itmedia.co.jp/business/articles/1810/10/mf_gundam01.jpg

■かつては地球連邦の秩序維持に協力

 アナハイム・エレクトロニクスは月のフォン・ブラウンという都市に生産拠点がある。ほかにもドック艦ラビアンローズなどの生産拠点を有している。フォン・ブラウンは人類初の月面着陸をしたアームストロング船長の記念広場もある月面都市である。「機動戦士ガンダムZガンダム」(第23話ムーン・アタック)のナレーションによれば、月の中心都市で、「フォン・ブラウンを制するものは宙(そら)を制する」と言われた一大拠点である。月の裏側にはグラナダという大都市もある。

1年戦争でジオンのMS開発を担っていたジオニック社はグラナダと縁があった。もっとも、グラナダはジオンに全面的には協力していなかったため、1年戦争開戦に合わせて、ジオンにより制圧されることになる。次いで、フォン・ブラウンもジオンに占拠された。

 1年戦争が始まるまでは、アナハイムは両勢力を手玉に取る死の商人というよりは、地球連邦の秩序維持に協力していたように見える。1年戦争前を描いた「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」では、ザビ家(後にジオン公国を設立)に対するアナハイムの反抗支援(事実上のテロ協力)が示唆されている。大きな火種を作って、ジオン・連邦の両者に武器を売るのであれば、この段階でザビ家に協力またはザビ家の専制を傍観したはずであり、当初は大規模な戦争を望むこともなく、想定してもいなかったのだろう。ジオン、そしてジオニック社を新参者と舐めていたのかもしれない。

■フォン・ブラウンは現代の深センか

 月面の環境は過酷である。月面には大気がない。これは息ができないということだけではない。大気がないので、宇宙線や太陽風による人体あるいは精密機器への影響を人工的に防がなければならない。

 また、隕石が燃え尽きることもなく降り注ぐ。地球ではお役御免の人工衛星でも大気圏に落下させて燃やせるが、月面では摩擦熱が起こる大気がない。月の引力に引かれて落ちる隕石もあるし、どんな小さな石でも地表まで速度を落とさずに落下する。

 加えて、外部に大気がない密閉都市では、外窓や外壁1枚の損傷が深刻な事態をもたらすのだ。

http://image.itmedia.co.jp/business/articles/1810/10/mf_gundam04.jpg

http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1810/10/news008.html

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1 :朝一から閉店までφ ★:2018/07/25(水) 13:40:00.24 ID:CAP_USER

サムネイル 2018年07月24日 22時00分 公開
ポルナレフが味わった「恐ろしいものの片鱗」、裏側では何が? 海外のジョジョファンが再現(?)動画で考察
ディオががんばりやさんだった。
[沓澤真二,ねとらぼ]

 『ジョジョの奇妙な冒険』第3部の終盤でポルナレフがディオと対峙したとき、いくら階段を上っても“下りたことにされる”シーンがあります。
この現象はコピペでも有名な「何を言ってるのかわからねーと思うが(中略)もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……」
というせりふにつながるのですが、いったい階段で何が起きていたのでしょうか? 海外ファンのAlex(@caesartendency)さんが考察し、動画で説明してくれました。


「1つチャンスをやろう。その階段を2段下りろ。再び私の仲間にしてやる」と、ディオがポルナレフをゆさぶる場面を再現
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld01.jpg


 原作でその後の展開を見れば「ディオがスタンド能力で時を止めてからなんかした」のは明白なのですが、動画はその“なんか”の部分を想像で補完しています。
ポルナレフ役が階段を上ると、ディオ役がスタンドの発動をポーズで示します。ここまでは原作とだいたい同じ。


逆らってポルナレフが上ったところで、ディオがスタンド「ザ・ワールド」を発動。時が止まってポルナレフも静止
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld02.jpg


 時が止まっている間に、いそいそと階段を下りるディオ。静止したポルナレフをかつぎ上げ、元いた位置よりも下の段まで運んで下ろします。そんな力業だったのか。


能力の持続時間は、このシーンの時期だと5秒未満しかありません。急げ急げ
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld03.jpg
よいしょっと
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld04.jpg
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld05.jpg


 そして、息を切らしながらも階段の上まで戻って決めポーズ。能力の効果が切れて時が動き出し、知らぬ間に下ろされていたポルナレフが驚く……といった寸法です。
もちろん原作でそんな過程は描かれていませんが、状況を考えると妥当なやり方に思えます。原作のディオも似たようなことをしていたのだろうかと想像できて、なんだかなごむ動画でした。


時が動き出す前に戻れーっ!
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld06.jpg
ゼエゼエ……
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld07.jpg
からの決めポーズ。原作では「フフッ、階段を下りたなポルナレフ」と、不敵に笑っていましたが、陰でけっこうがんばっていたのかも
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld08.jpg

画像提供:Alex(@caesartendency)さん
(沓澤真二)
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/news127.html
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.


https://video.twimg.com/ext_tw_video/1021092441917657088/pu/vid/720x1280/5ug4rcEpRwDuz2YQ.mp4

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1 :朝一から閉店までφ ★:2018/07/25(水) 13:40:00.24 ID:CAP_USER

サムネイル 2018年07月24日 22時00分 公開
ポルナレフが味わった「恐ろしいものの片鱗」、裏側では何が? 海外のジョジョファンが再現(?)動画で考察
ディオががんばりやさんだった。
[沓澤真二,ねとらぼ]

 『ジョジョの奇妙な冒険』第3部の終盤でポルナレフがディオと対峙したとき、いくら階段を上っても“下りたことにされる”シーンがあります。
この現象はコピペでも有名な「何を言ってるのかわからねーと思うが(中略)もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……」
というせりふにつながるのですが、いったい階段で何が起きていたのでしょうか? 海外ファンのAlex(@caesartendency)さんが考察し、動画で説明してくれました。


「1つチャンスをやろう。その階段を2段下りろ。再び私の仲間にしてやる」と、ディオがポルナレフをゆさぶる場面を再現
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld01.jpg


 原作でその後の展開を見れば「ディオがスタンド能力で時を止めてからなんかした」のは明白なのですが、動画はその“なんか”の部分を想像で補完しています。
ポルナレフ役が階段を上ると、ディオ役がスタンドの発動をポーズで示します。ここまでは原作とだいたい同じ。


逆らってポルナレフが上ったところで、ディオがスタンド「ザ・ワールド」を発動。時が止まってポルナレフも静止
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld02.jpg


 時が止まっている間に、いそいそと階段を下りるディオ。静止したポルナレフをかつぎ上げ、元いた位置よりも下の段まで運んで下ろします。そんな力業だったのか。


能力の持続時間は、このシーンの時期だと5秒未満しかありません。急げ急げ
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld03.jpg
よいしょっと
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld04.jpg
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld05.jpg


 そして、息を切らしながらも階段の上まで戻って決めポーズ。能力の効果が切れて時が動き出し、知らぬ間に下ろされていたポルナレフが驚く……といった寸法です。
もちろん原作でそんな過程は描かれていませんが、状況を考えると妥当なやり方に思えます。原作のディオも似たようなことをしていたのだろうかと想像できて、なんだかなごむ動画でした。


時が動き出す前に戻れーっ!
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld06.jpg
ゼエゼエ……
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld07.jpg
からの決めポーズ。原作では「フフッ、階段を下りたなポルナレフ」と、不敵に笑っていましたが、陰でけっこうがんばっていたのかも
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/l_kutsu_180724theworld08.jpg

画像提供:Alex(@caesartendency)さん
(沓澤真二)
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/24/news127.html
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.


https://video.twimg.com/ext_tw_video/1021092441917657088/pu/vid/720x1280/5ug4rcEpRwDuz2YQ.mp4

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1 :リーンベル ★:2017/07/26(水) 18:40:08.51 ID:CAP_USER

サムネイル 不寛容時代の今、アニメ『セントールの悩み』は視聴者とアニメ制作の現場に多様さを問いかける
この数年、海外のみならず国内のニュースを見ていて気になるのは、「この問題、突き詰めると多様性への不寛容に原因の多くがあるんじゃないのか」と感じることがあまりに増えてきた。
日々、それらの話題に複雑な気分を抱えつつ、なんとなくニュースを見つめ、そして深夜に気分転換にアニメを見始める。現実のそんな重さから逃れるように見始める深夜アニメ。今期の新作TVアニメはどんなものか?と毎晩何本か見ていたのだが、最近、同好の友人に会うと自分がまず真っ先に話題に挙げている作品があることにある日気がついた。
『セントールの悩み』だ。
村山慶が月刊COMICリュウ(徳間書店)で連載しているコミックのアニメ化で、タイトルの「セントール(Centaur)」とはギリシア神話に登場する半人半獣のケンタウロスのこと。
僕は原作コミックを未読であったので、どんな作品なのか全く知らないままアニメ版を視聴した。第1話はいったいどういう作品でどういう世界なのか?が何の説明も無く始まる。ビジュアルからこれが“普通の世界”ではないことがすぐにわかるため、この意図的に全く説明をしないことに戸惑いを感じつつも気になってしまった。

どのように“普通の世界”ではないのかというと、登場人物が男女ともに全員、頭に角が生えていたり、コウモリや鳥のような羽が生えていたり。さらに下半身が馬の女の子もいる。この女の子・姫乃が主人公で、タイトルのセントールは彼女のこの容姿からきているのだろう。
彼女らの日常が描かれ、高校で演劇の出し物をすることになるのが、冒頭のストーリーだ。ただ、この演劇についても見ていて不思議な箇所がある。王子様役をやるはずだった男の子が不正をはたらいたことがバレて降板。代わりに王子様をやることになるのはボーイッシュな女の子。しかし皆、キスシーンがあることには年頃らしい反応を見せるのだが、そもそも「女の子が王子様役になった」ことには誰も何も突っ込まない。
ドタバタ風の中で演劇は終わって後半が始まり、そこで世界観が大雑把に説明された。
この作品の世界は「四肢哺乳類が僕らのような人類に進化をしなかった、全く別の進化体系を経た世界」だったのだ。別の生物がそれぞれの進化をし、それが、下半身が馬の「人馬」であったり、角がある「角人」や翼のある「翼人」。さらに人魚や、ヘビのような外見をした「南極人」などがおり、それら全ての形態を総称して“人類”となっている。
原作を知らなかったために、この異形のヒロインたちを見た時点では数年前にあった『モンスター娘のいる日常』のような作品なのか?と思っていた。実際、基本であるのはこの多種多様な登場人物らの織りなす“日常もの”だ。彼女らの学校や私生活での様子がコミカルさをメインに描かれている。
が、見ていると、セリフの端々に作品世界を覆っている不穏さがあることに気づかされる。
現在の多様な形態の人間がいる世界に対し、「もし四肢生物が人間になっていたら、髪の色や肌の色が違うだけで深刻な差別問題は起こらなかったはず」。ここで語られる“もし”は、つまりは僕らの世界だ。言い換えるとこの作品世界は多様さにあふれているが、しかしそれは多様であることを皆が受け入れている世界なのではなく、形態間の差別は存在し、どうやら薄氷の上に成立しているようであることが含められている。それぞれの形態に対しても同様で、ヘビに似た南極人は「南極蛇人」と呼ぶ人もいるが、この言い方は蔑称であること。人馬の背中に乗ることは重度の差別行為であることがわかってくる。
主人公たちの暮らす国は日本だが、その細部も僕らのこの国とはいろいろと異なっている。この世界の日本では、こうした形態間差別が起こらないように徹底した道徳や思想の教育がなされており、それを侵害したものは思想矯正所と呼ばれる矯正施設に送られてしまう。
そこで気がついた。
冒頭のクラスの演劇で、女の子が王子様役になったことにはナゼ誰も何も突っ込まなかったのか。あれはつまり、形態間の差別だけではなく、ジェンダー差別も思想教育で起こらないようにされているということなんだろう。彼ら・彼女らにとって同性間の恋愛感情は特異なものでも何でもなかったのだ。

https://otocoto.jp/news/okano017/

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1 :リーンベル ★:2017/07/26(水) 18:40:08.51 ID:CAP_USER

サムネイル 不寛容時代の今、アニメ『セントールの悩み』は視聴者とアニメ制作の現場に多様さを問いかける
この数年、海外のみならず国内のニュースを見ていて気になるのは、「この問題、突き詰めると多様性への不寛容に原因の多くがあるんじゃないのか」と感じることがあまりに増えてきた。
日々、それらの話題に複雑な気分を抱えつつ、なんとなくニュースを見つめ、そして深夜に気分転換にアニメを見始める。現実のそんな重さから逃れるように見始める深夜アニメ。今期の新作TVアニメはどんなものか?と毎晩何本か見ていたのだが、最近、同好の友人に会うと自分がまず真っ先に話題に挙げている作品があることにある日気がついた。
『セントールの悩み』だ。
村山慶が月刊COMICリュウ(徳間書店)で連載しているコミックのアニメ化で、タイトルの「セントール(Centaur)」とはギリシア神話に登場する半人半獣のケンタウロスのこと。
僕は原作コミックを未読であったので、どんな作品なのか全く知らないままアニメ版を視聴した。第1話はいったいどういう作品でどういう世界なのか?が何の説明も無く始まる。ビジュアルからこれが“普通の世界”ではないことがすぐにわかるため、この意図的に全く説明をしないことに戸惑いを感じつつも気になってしまった。

どのように“普通の世界”ではないのかというと、登場人物が男女ともに全員、頭に角が生えていたり、コウモリや鳥のような羽が生えていたり。さらに下半身が馬の女の子もいる。この女の子・姫乃が主人公で、タイトルのセントールは彼女のこの容姿からきているのだろう。
彼女らの日常が描かれ、高校で演劇の出し物をすることになるのが、冒頭のストーリーだ。ただ、この演劇についても見ていて不思議な箇所がある。王子様役をやるはずだった男の子が不正をはたらいたことがバレて降板。代わりに王子様をやることになるのはボーイッシュな女の子。しかし皆、キスシーンがあることには年頃らしい反応を見せるのだが、そもそも「女の子が王子様役になった」ことには誰も何も突っ込まない。
ドタバタ風の中で演劇は終わって後半が始まり、そこで世界観が大雑把に説明された。
この作品の世界は「四肢哺乳類が僕らのような人類に進化をしなかった、全く別の進化体系を経た世界」だったのだ。別の生物がそれぞれの進化をし、それが、下半身が馬の「人馬」であったり、角がある「角人」や翼のある「翼人」。さらに人魚や、ヘビのような外見をした「南極人」などがおり、それら全ての形態を総称して“人類”となっている。
原作を知らなかったために、この異形のヒロインたちを見た時点では数年前にあった『モンスター娘のいる日常』のような作品なのか?と思っていた。実際、基本であるのはこの多種多様な登場人物らの織りなす“日常もの”だ。彼女らの学校や私生活での様子がコミカルさをメインに描かれている。
が、見ていると、セリフの端々に作品世界を覆っている不穏さがあることに気づかされる。
現在の多様な形態の人間がいる世界に対し、「もし四肢生物が人間になっていたら、髪の色や肌の色が違うだけで深刻な差別問題は起こらなかったはず」。ここで語られる“もし”は、つまりは僕らの世界だ。言い換えるとこの作品世界は多様さにあふれているが、しかしそれは多様であることを皆が受け入れている世界なのではなく、形態間の差別は存在し、どうやら薄氷の上に成立しているようであることが含められている。それぞれの形態に対しても同様で、ヘビに似た南極人は「南極蛇人」と呼ぶ人もいるが、この言い方は蔑称であること。人馬の背中に乗ることは重度の差別行為であることがわかってくる。
主人公たちの暮らす国は日本だが、その細部も僕らのこの国とはいろいろと異なっている。この世界の日本では、こうした形態間差別が起こらないように徹底した道徳や思想の教育がなされており、それを侵害したものは思想矯正所と呼ばれる矯正施設に送られてしまう。
そこで気がついた。
冒頭のクラスの演劇で、女の子が王子様役になったことにはナゼ誰も何も突っ込まなかったのか。あれはつまり、形態間の差別だけではなく、ジェンダー差別も思想教育で起こらないようにされているということなんだろう。彼ら・彼女らにとって同性間の恋愛感情は特異なものでも何でもなかったのだ。

https://otocoto.jp/news/okano017/

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1 :https://twitter.com/omukoshi_moe:2017/02/22(水) 07:02:08.68 ID:CAP_USER

サムネイル カードゲーマーは説明力の無い人が多い。

素人でも本当にわかる解説を書く。

今回起こったのは、10年以上遊戯王の主役で有り続けた「エクストラデッキからの特殊召喚」を根本から揺るがし、取り返しがつかなくなったルール変更である。

遊戯王はモンスターを場に召喚して戦うカードゲームで、様々な召喚方法がある。その中でも主役級の位置を担う融合召喚、シンクロ召喚、エクシーズ召喚、ペンデュラム召喚、これらをまとめて「エクストラデッキからの召喚」と呼ぶ。昔は融合しかなかったのだが、世代が進むにつれて新しい召喚方法が生まれ「エクストラデッキからの召喚」とみられるようになった。

そして今回行われたルール変更とは「新しいカードで新しい召喚方法を使わなければ、エクストラデッキからの召喚を大きく制限するよ」という盛大なちゃぶ台返しである。

その意図は間違いなく、カードパワーをデフレさせることだ。

なぜデフレさせなければならないのか。それは、現在の遊戯王はインフレがいきすぎてしまっているからである。

トレーディングカードゲームにおいて、カードプールの増大と強さのインフレは不可分だ。カードプールが大きくなる(カードの選択肢が広くなる)ほど、今あるカードだけでも十分なデッキを組むことができてしまう。すると、新しいカードを買う動機が生まれてこない。新しいカードがちゃんと売れるためには、既存のカードよりも強く、でなければ斬新なカードでなければならない。そして遊戯王は「新しいカードは強くなければならない」という構造から逃れられず、インフレを止められない状態となっている。

その結果、アニメと違って、現実の遊戯王は1,2ターンで勝負が大方決まってしまうようになった。最前線級のデッキとそれ以外とでは深い断絶が存在しており、最前線級のデッキとまともに試合をしたければ、最低でも「即死技を出す能力」「即死技を止める能力」のどちらかを備えていなければ話にならない。このような高速環境では新たに斬新さを作る余地もほとんど残っていないので、新規カードはさらに強さに偏るようになる。これが何年も続いているのが今の状況だ。

数年前までは禁止制限リストに最前線級のカードを適宜入れていくことで代謝を促すことがまだ機能していた。しかしこの方式も限界が来ている。なぜなら新作のカードはどれも異常に強いので、特定のカードを禁止するという方式が現実的ではなくなってきているからだ。禁止制限リストは100種類を突破して久しい。

以上がコナミがルール変更を強行するに至った背景である。

では、ルール変更はインフレを解決し、健全な環境をもたらすだろうか?残念ながらならないだろう。

最前線のデッキのなかには、本変更の影響を受けないグループが存在する。これらのデッキは「エクストラデッキからの召喚」をほとんど使わないので、ルール変更前と強さが変わらない(例: インフェルノイド)。となれば、他のデッキはそれらと互角に渡り合う必要があり、新ルールが高速環境に戻るのに、そう時間はかからないだろう。

既存デッキを環境から強制的に退場させるという点で、このルール変更は事実上のスタン落ち(古いカードをまとめて使用禁止にすることで環境を強制的に代謝させる仕組み)である。しかしこのような場当たり的なやり方では、仕組みとして持続性がない。いずれカードプールは増大し、また現在と同じ即死ムーブが跋扈する状態になる。その度にグレートリセットを行うのだろうか?他のカードゲームの事例を挙げると、マジック:ザ・ギャザリングでは定期的にスタン落ちが行われるのだが、これは計画的に、少なくとも1年前には予定されているので、プレイヤーもショップも適切に備えることができる。

ルール変更は大きな傷跡を残すことになった。

電撃的に発表された変更は影響範囲が甚大で、多くのカードを紙屑化し、その価値を破壊するものだった。これは「遊戯王には高価なデッキが明日には無価値になる大きなリスクが存在する」という極めて悪しき前例となった。「業界トップのソシャゲーにおいて、突然既存のSSレアの価値がN相当になった」と例えればわかりやすいだろうか。今後同じことが起きないという保証は全くない。そのリスクはショップとプレイヤーに降りかかる。

以下全文
http://anond.hatelabo.jp/20170221010811

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1 :https://twitter.com/omukoshi_moe:2017/02/20(月) 07:09:05.37 ID:CAP_USER

サムネイル  最近、“異世界転生(転移)もの”のアニメが人気だ。このところほぼ毎クール、異世界転生をテーマにした作品が放送されているのではないだろうか。今期では、日本人サラリーマンが異世界で金髪幼女に転生する『幼女戦記』、昨年放送された『この素晴らしい世界に祝福を!』や『Re:ゼロから始める異世界生活』なども記憶に新しい。実はこの3つのアニメ、異世界転生がテーマなだけでなく、Web小説が原作という共通項もある。近年、こうしたWeb小説原作の異世界転生アニメが急増しているのはなぜなのだろうか。

 異世界転生Web小説ブームの発端となったのは、2002年から個人サイトで連載をスタートさせた『ソードアート・オンライン』(以下、SAO)だろう。素人投稿によるWeb小説の場合、人気作品はまずライトノベルなどで書籍出版され、その後コミカライズやアニメ展開されていくのが基本の流れだ。厳密にいえば“ゲーム転移もの”の『SAO』は、ネット上でじわじわと話題を呼んで2009年に書籍化、2012年にはアニメ化を経て、熱狂的なファンを獲得した。さらに『SAO』のヒット以降、その流れを汲んでか、ラノベ・アニメシーンでは異世界転生ものの作品が急増する。なかでも、アマチュア作家をメインとした小説投稿サイト「小説家になろう」からデビューする作品が目立つようになった。前述した『この素晴らしい世界に祝福を!』と『Re:ゼロから始める異世界生活』も、「小説家になろう」からヒットを遂げた作品だ。そして、こうした異世界転生Web小説が増加したのは、この「小説家になろう」内のシステムに由来すると考えられる。

 「小説家になろう」では、大きく「異世界」と「現実世界」の2ジャンルに作品がカテゴリ分けされている。読者人気が圧倒的に高いのは「異世界」ジャンルだが、その中でも特に「異世界転生・転移」ジャンルが強い。サイト内の人気ランキングを見ると、なんと上位10作品全てが異世界転生ものとなっている(2016年2月18日現在)。『SAO』のヒット以降、異世界転生ジャンルのファン需要が高まったのは確かだろう。後続する作品が増えていき、サイト内ランキングにも頻繁に異世界転生ものが登場するようになったのだ。すると、今度は「異世界転生をテーマに小説を書けば、サイト内で注目されやすくなる」と考える作家が増え、より一層このジャンル作品が量産されていった。母数が多ければ、良作が生まれる確率も高くなる。そうして、「小説家になろう」から見出された作品を中心に、ラノベ・アニメシーンで異世界転生ものが急増していったわけだ。その結果、“「小説家になろう」イコール異世界転生もの”という認識が生まれ、サイト内外を問わず、異世界転生を描いた作品は「なろう系」と呼ばれるまでに至った。

 なろう系には熱狂的なファンが多い反面、アンチの存在も目立つ。批判の声としてよく挙がるのは、「設定やストーリーがカブりがち」というものだ。なろう系に多いのは、「現実世界では冴えない男主人公が、異世界に転生して大活躍し(チート)、複数の女性に好意を抱かれる(ハーレム)」というストーリー展開だ。そのため、あまりに無双すぎる主人公を揶揄して、「俺TUEEE系」と呼ばれることもある。しかし、こうした批判は人気と表裏一体のものだ。ネガティブな意見がありつつも、本日公開の『SAO』劇場版を筆頭に、今後もしばらくなろう系ブームは続くことだろう。

 さらに、今期アニメ『幼女戦記』のように、異世界転生ものでありながら、なろう系の紋切り型から大きく外れた作品も出てくるようになった。多くのアマチュア作家たちがネット上で切り拓いてきた今日の異世界転生ジャンルは、今後もさらに切磋琢磨され、アニメシーンにも大きな影響を及ぼすだろう。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170219-00010008-realsound-ent

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1 :yomiφ ★:2016/11/25(金) 09:07:56.06 ID:CAP_USER

■聖地"ビジネス化"の危険性

最近では、夏に公開された『君の名は。』が大ヒットになり、その聖地巡礼が話題になっている。同作では、東京の男子高校生と地方の女子高生の二人が主役となる。
東京の舞台については、ラストシーンで使われた四谷の須賀神社や、デート・シーンで使われた六本木国立新美術館などの都心の聖地には、アクセスの良さもあって多くのファンが訪れている。
さらに、もう一つの地方の舞台については、東京のようにすべてが特定されているわけではないようだが、飛騨高山をはじめ、伊豆諸島の青ヶ島、新海誠監督の出身地の諏訪湖などがモチーフになったのではないかなど、さまざまな説が語られている。
作品世界の自発的ハッキングという従来通りのプロセスが展開していると言える。

こうしたアニメ聖地巡礼の盛況をうけて、アニメ聖地巡礼を「ビジネス化」しようとする動きが出てきた。近年では、各地でフィルム・コミッションが活発に活動し、積極的に誘致が行われるようになっている。
その中でも興味深いのが、一般社団法人アニメツーリズム協会の設立だ。JALやカドカワなど観光やコンテンツ産業に関わる企業が設立に関わっており、官民一体でアニメによる観光振興を行おうとしている。
アニメ聖地巡礼は、舞台になった場所であれば、通常の観光ルートからはずれていたり、特段に目を引く観光アトラクションがなくても、訪問者を集められる可能性がある。
魅力的な観光起爆剤であることは間違いないだろう。観光資源を持たざる自治体でも、一発逆転できるチャンスがあるのだ。
同協会は、アニメ聖地を選定するための投票を呼びかけている。外国語での投票も可能になっており、増加する訪日外国人観光客もとり込もうとしている。
今年年末に締め切られる投票に基づいて88ヵ所の聖地が選定され、それらを結ぶ広域周遊観光ルートが整備される見込みである。

たしかに、外国人観光者にとって、一般のガイドブックには詳しい情報がないこともあるアニメ聖地へ行くためのインフラが整備されるのは良いことだろう。
これはライトなファンにとっても同様だ。自分で舞台を特定したり、現地を歩き回って舞台を探す手間が省けることで、格段に観光としての利便性は高まる。

しかし、アニメ聖地巡礼を過度に制度化・ビジネス化することには危険性もあるのではないだろうか。

■ファンの自発性との対立

前述の通り、アニメ聖地巡礼は作品世界のハッキングとして始められ、ファンが自発的に行うところに醍醐味のひとつがあった。舞台となった場所の特定は、作品世界の謎を解明することなのである。
したがって、答えが最初から開示されていたのでは、面白味は半減してしまうのではないだろうか。
実際、鷲宮以降、最初からどこが舞台であるのかがあからさまに示された作品も多く作られた。中には、アニメ聖地巡礼で賑わった例もあるし、逆に、あざといとして失敗した例もある。

さまざまな要因があるのだろうが、たとえば千葉県鴨川市を舞台にした『輪廻のラグランジェ』は、検索サイトに作品名を入れれば、「町おこし 失敗」と自動で出てくるような状況だ。
一方、『ガールズ&パンツァー』の茨城県大洗町は大成功の事例として語られている。

何が成否を分けるのかは、作品自体の面白さも含め複雑な理由があるだろう。筆者には、それを総括して論じる準備はない。

しかし、企業を軸として作られた協会が88の聖地を認定するという制度は、これまでになくファンの自発性と対立する試みだ。認定以降に制作される作品はどのような扱いになるのか。
協会に参加する企業に関連する作品が意図的に選ばれるといった可能性はないのだろうか。

そもそも宗教の聖地ですら、聖母出現などによる新たな聖地をめぐって、宗教制度と一般信者が衝突することは珍しくない。大衆が自発的に集まるようになった当初は人数も少なく、制度側は放置する。
しかし、次第に訪問者の数が増えてくると、聖なる場所のとり扱いをめぐって多くの利害関係者が争うのだ。

アニメ聖地巡礼は、今まさに、そうした上からの制度化・ビジネス化のプレッシャーにさらされているように思われる。

(了)

北海道大学准教授  岡本 亮輔

■アニメ聖地巡礼の新しさ

近年、「聖地巡礼」といえば、四国遍路やサンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼路を歩くよりも、アニメや映画の舞台になった場所をめぐる実践を意味するようになっている。コンテンツ・ツーリズムに分類される観光実践である。
舞台訪問はけっして新しいものではない。映画、小説、ドラマなどの舞台めぐりは、かねてから行われてきた。
たとえば、全国に無数にある郷土ゆかりの作家の文学館は、そうした「文学巡礼者」の需要に応えたものと言って良いだろう。太宰治がどのような風景のなかで育ったのかを見るために、ファンは青森県五所川原市まで足を運ぶわけである。
NHK大河ドラマの場合、放映後に舞台になった場所が観光化することはあらかじめ見越されており、制作前から誘致合戦が行われるようになっている。

とはいえ、アニメ聖地巡礼には新しさもある。そもそもは制作側が意図しないところから始まったことだ。
アニメの背景に実際の風景が使われるようになったのにはさまざまな理由があるが、大きいのは制作プロセスの簡略化だと言われている。
実際の風景を写真撮影し、それをトレースすることで、実写のような背景がある意味で機械的に作れるようになったのである。撮影やデータの取り込みなど、技術発展がこうした制作法を可能にした部分も大きい。

こうして現実に紐づけられた背景を使用したアニメ作品が増えることで、アニメ聖地巡礼の下地が整えられた。だが、すぐに誰でもが舞台訪問をするようになったわけではない。
アニメの場合、映画や小説と異なり、まず、背景の元になった場所を特定する必要がある。基本的にトレースされたものとはいえ、場所の名前が示されていなかったり、景色に修正が加えられていたりするためだ。

当初、アニメの舞台訪問を行っていたのは、情報の収集・分析に優れた一部のファンに限られていた。彼らはアニメの中から断片的な情報をかき集め、そこから地道に舞台を特定していった。
そして、彼らがネットを中心に舞台情報を発信し、それを見てさらに多くの人が舞台訪問をするという流れであった。

ここで重視したいのは、舞台の特定がファンの自発性に基づいて行われていたことだ。誰かに頼まれたわけでもないし、舞台を特定しなければ作品が理解できないわけではない。
コアなファンが自らの意志で、作品世界をより深く味わうために行っていたと考えて良いだろう。

■観光の表舞台と舞台裏

観光研究には、観光の表舞台/舞台裏という概念がある。表舞台は、観光者のために作り込まれた場だ。そこを見れば、観光客は観光者として一定の満足を得られる。
だが、よりディープな観光者は、表舞台の裏側にある本物の日常に触れようとするというのだ。もちろん、表舞台の裏にも、さらに舞台裏であるかのように作り込まれた場が準備されている。
しかし、一部の観光者は、そうした作為性をかいくぐり、裏側をのぞき見ようとするのである。

表舞台/舞台裏という概念は、アニメ聖地巡礼にも大まかにあてはめられるかもしれない。アニメ作品そのものを表舞台とすれば、その裏側に迫ろうとするのが舞台訪問だ。
実際の風土のどのような特徴が作品に生かされているのか、現実と作品ではどのような編集が行われているのかを確かめることで作品をさらに深く味読するのである。
作品世界と制作プロセスの自発的なハッキングこそがアニメ聖地巡礼の始まりだったと言って良いだろう。

アニメ聖地巡礼の先駆的事例である埼玉県の鷲宮では、地元と訪れたファンの交流という形で、さらに深い体験へと至っている。
鷲宮は4コマ漫画を原作とするテレビアニメ『らき☆すた』の舞台となった。オープニングで鷲宮神社の鳥居が含まれた絵が用いられるなどして、アニメ聖地になった。
当初は、住宅街に突然ファンが集まるようになり、作品のことを知らない地元の人々が困惑するといった事態もあったが、現在では、アニメ聖地巡礼による町おこしの先駆であり成功例とされている。
特定の日にはコスプレイヤーが神社境内で撮影することが認められたり、ファンの手作りの神輿が渡御する祭りなどがあり、現在では『らき☆すた』を知らないアニメファンも集まるようになっている。

>>2につづく)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50249

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1 :オムコシ ★:2016/10/22(土) 13:14:49.44 ID:CAP_USER

サムネイル 加害者も被害者もいじめを忘れることはできない

 加害者が被害者になり、被害者が加害者になる。自己の内側に執拗にこびりつき続ける罪の意識。それをいかに贖い、乗り越えるか。罪の意識を抱え続ける他者をいかに受け入れ、赦すのか。映画『聲の形』は、こういったテーマを突き付ける。

 私はこの映画を、事前にCMを見ただけで、原作も未読の状態のまま映画館で鑑賞した。CMの印象から、「いじめ」や「障害」がテーマになりつつも、メインのテーマは「ラブストーリー」なのだろうと思い込んでいた。山田尚子監督の前作『たまこラブストーリー』は、これでもかというくらいにストレートなラブストーリーだったし、その前作『映画けいおん!』では、爽やかで軽やかな女子高校生の姿が描かれていた。そんな印象が残っていたせいもあって、無意識の内にラブストーリーをイメージしていたのだろう。。

 しかし実際には、ラブストーリーの要素はそれほど大きくはなかった。それ以上に、人と人との関係性や心の痛みがメインのテーマとなっている映画だと言えるだろう。

 『聲の形』での映像表現も、『たまこラブストーリー』や『映画けいおん!』と同じかそれ以上に柔らかく、繊細だ。登場人物たちの動きや表情が生き生きとしていて、風景や背景の描写も丁寧で細かく、美しい。何も考えずに見ていると、その世界やキャラクターの魅力に惹き込まれて愛着が湧き、ずっとその中に浸っていたいという心地よささえ感じるほどだ。

 だからこそ、その分だけより切実に、この映画のテーマの重みが、鑑賞者へと迫ってくるのである。

 「いじめ」は、聴覚障害を持つ小学六年生の西宮硝子が、本作主人公の石田将也のクラスに転校してくることで始まる。クラスメートたちは耳が聞こえない硝子をからかい、次第にいじめへとエスカレートしていく。そのいじめの中心となっていたのは、将也だった。

 いじめがエスカレートすると、硝子の母親から学校へ被害が訴えられる。いじめ問題のために校長同伴の学級会議が開かれると、将也は担任から名指しで批判され、一緒になっていじめていたはずのクラスメートからも犯人扱いされてしまう。その後、将也は逆にいじめられる立場となっていくのである。

 障害者をいじめるという行為は、断じて許される行為ではない。将也も、クラスメートたちも、小学生ながら「いじめはいけない」ということを理解している。しかし、小学生というのは、ついその場の雰囲気で悪ふざけを行ってしまうものなのだろう。やり過ぎではないかと思いつつも、いつしかやってはいけないことの限界を見失ってしまう。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161022-00003458-besttimes-ent

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1 :yomiφ ★:2016/11/18(金) 22:58:10.39 ID:CAP_USER

■深夜アニメに進出する魔法少女

 さらに2004年に入ると、アダルトゲームのサブキャラを主人公にしたスピンオフ『魔法少女リリカルなのは』が登場。
『カードキャプターさくら』は夕方の放送枠だったが『魔法少女リリカルなのは』は深夜の放送時間帯であり、女の子の理想を描いてきた魔法少女アニメは、ここにきて男性アニメファン向けとしての可能性を広げていく。
『リリカルなのは』シリーズは、2016年10月時点でもシリーズが展開されている(最新作は『Vivid Strike!』)人気シリーズであり、ライバルの魔法少女との壮絶なバトルとその果てに訪れる友情を描いた作品だった。
女の子向けには同じ年に『ふたりはプリキュア』も放送が開始され、こちらも女児向けではあるが、バトル要素を数多く含む内容となっている。

 そして、『なのは』シリーズ1作目を監督した新房昭之は、2011年に『魔法少女まどか☆マギカ』を完成させる。
深夜アニメの枠を超え、大きな話題を呼んだ作品で、劇場版も大ヒットを記録した同作の特徴は、従来のメルヘンチックなキャラクターデザインと衣装のまま、魔法少女が次々と死んでいく展開と重厚な世界観が展開していくことだった。
従来のお約束をあえて破る手法が、類型としての“魔法少女もの”を破壊し、再構築するかの内容だった。

■残酷描写の極まった『魔法少女育成計画』

 さて、話を2016年10月に戻すが、やはりこれだけ“魔法少女もの”の企画が乱立する要因となったのは、『まどマギ』の成功が大きいのだろう。同時に、メルヘンチックなペルソナを用いて、残酷な描写をしかける手法も大きく注目されることになった。
『リリカルなのは』シリーズ最新作の『Vivid Strike!』では、格闘技の才能を持った少女がいじめっ子に復讐する姿が描かれたり、『ストライクウィッチーズ』シリーズの新作である『ブレイブウィッチーズ』は、苛烈な描写こそないものの、
ウィッチたちはネウロイという未知の存在との戦争に駆り出されている。『終末のイゼッタ』も、リアルな戦争描写が話題となっている。

 そして、今期の“魔法少女もの”で、とりわけ『まどマギ』以後の作品として、注目すべきなのは、『魔法少女育成計画』だろう。
原作者、遠藤浅蜊の「魔法少女がぐちゃぐちゃになって死んでいくところを書きたい」(参考:このマンガがすごい!WEB 遠藤浅蜊×マルイノ『魔法少女育成計画』対談)という執筆動機からスタートしたこの作品では、
「まどマギ」ですらやらなかった、魔法少女同士の血みどろのバトルロイヤルが描かれる。
第7話では、魔法少女の一人が、別の魔法少女をショットガンで肉片にし、燃やしてからドラム缶にコンクリート詰めにして海に沈めるという描写まで飛び出した(しかも不死身だからそれでも死なない)。
さらには、当初の魔法少女は女の子が大人に変身するパターンが多かったが、同作では少女だけでなく、大人の女性や少年までもが魔法少女に変身しており、みな一様に苦しい現実を生きている。
魔法少女は、理想の姿というより、つらい現実からの退避場所となっているのも本作の特徴だ。

■ジャンルの成熟後、原点回帰は起こるか

 様々な表現が可能になること自体はジャンルの成熟であり、悪いことではない。深夜帯においても残酷描写ばかりが先行しているわけでもなく、現在放送中の各作品は実に多種多様だ。
それに、残酷描写が行き着くところまでいけば、今度は原点回帰の道も模索されるかもしれない。そういう流れが起きているからなのかどうかは分からないが、
2017年には、現在の深夜アニメにおける魔法少女の原点である『なのは』シリーズの新劇場版が公開される。
さらに、『カードキャプターさくら』の劇場版のリバイバル上映と新作アニメプロジェクトの始動も発表された。現在の潮流を作った原点2作がどのような内容になるのか注目したい。

 2016年10月放送の深夜アニメは、放送本数が非常に多いのだが、なかでもとりわけ目立つのが“魔法少女もの”の多さ。こんなにも放送時期が重なるのはおそらく初めてだろう。
『終末のイゼッタ』、『ブレイブウィッチーズ』、『Vivid Strike!』、『魔法少女なんてもういいですから。セカンドシーズン』、『魔法少女育成計画』、『装神少女まとい』。ほとんど毎日魔法少女アニメが放送しているような状態だ。

 すでに長い歴史のある確立されたフォーマットとはいえ、ここまで一気に、しかも深夜アニメにおいて放送が重なるのは、それだけ分厚い受容があることの裏返しなのだろう。
もはやブームと呼んでいいのかもしれない。元々は女の子のためのアニメのフォーマットだった“魔法少女もの”は、いかにして深夜アニメにおけるブームを作るまでにいたったのだろうか。

■女の子の憧れとしての魔法少女

 日本のアニメにおける最初の“魔法少女もの”と言われるのは、1966年放送の『魔法使いサリー』だ。魔法の国からやってきた女の子が人間界で人助けするのが主なストーリーだ。
それ以降、様々な“魔法少女もの”アニメが作られるが、黎明期は特別な出自を持った女の子が魔法の力で大人に変身し、事件を解決するのが定番のストーリーだった。
特別な出自、変身して大人になれるという設定には、当時の女の子たちの理想の姿が投影されていたのだろう。

 後に、普通の女の子がひょんなことから魔法の力を手に入れるタイプの作品(『魔法の天使クリィミーマミ』や『ひみつのアッコちゃん』など)が登場。
『魔法使いサリー』の時代と比べると、魔法を使う女の子がより等身大の存在となり、男の子との恋愛描写なども盛り込まれるようになった。
(参照:『超読解まどかマギカ』(「魔法少女アニメの歴史と、『魔法少女まどか☆マギカ』)文:久保内信行」より)

■作劇の変化とともに男性ファンを獲得

 ここまではいわゆる、日常の中に不思議な現象が起こるエブリデイ・マジックの手法が採用されていたが、90年代になると、“魔法少女もの”に大きな転機が訪れる。
変身し特別な力を得る女の子という魔法少女のフォーマットと、少年向けヒーロー戦隊ものの要素をあわせた『美少女戦士セーラームーン』が一世を風靡する。
『セーラームーン』シリーズの大きな特徴は、変身する女の子が複数いることにより、女の子同士の友情や葛藤、協力して敵を倒していくような少年漫画のようなメソッドが追加されたことにある。
『セーラームーン』のアニメ放送開始は1992年であるが、当時の社会は女性の社会進出が叫ばれたり、女性の幸せに対する価値観も多様化していく時代にあった。
女の子たちの夢も当然、素敵な人と結ばれるという旧来のステレオタイプなものばかりでなくなってきたことも、こうした作劇の変化の背景にある。

 こうした女の子たちの嗜好を反映した作劇の変化は、同時に少女向けの作品が男性ファンを獲得するという状況を作り出した。
『セーラームーン』も少なくない男性ファンを獲得したが、その流れを(意図していたがわからないが、結果として)さらに推し進めることになったのが1999年にNHKで放送開始された『カードキャプターさくら』だ。

 普通の女の子がひょんなことから魔法の力を手に入れ、問題を解決していくという『カードキャプターさくら』のストーリーは、正統派の“魔法少女もの”に近いのだが、
変身時の衣装は友達の自作だったり(コスプレ?)、主人公のさくらが憧れる月城雪兎とさくらの兄が同性愛的な関係を匂わせたり(BL?)、
さくらの親友の知世はバレンタインにチョコを渡すほどにさくらのことを好きであり(百合?)、
終盤の敵であるエリオルの従者、ルビー・ムーンは女子の制服を着ているが、別のキャラクターから男の服を着るべきと突っ込まれていたり(男の娘?)と、
現在の萌え要素の源流が数多く詰め込まれており、少女マンガファン以外にも男性オタクのファンを数多く獲得した。

>>2へつづく)
http://realsound.jp/movie/2016/11/post-3245.html

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